昨日

朝7:00頃起床。二度寝しつつ、8:00に起床。例の歯医者へ。麻酔と治療。治療も一段落。コンビニ飯後下宿へ。溜まっていたメール処理、スケジュール確認等。16:00下宿を出て、忘れていたPC電源コードを取りに帰るために再度実家へバイク移動。このミスは3度目か?実家着。ちょっと休憩を、と、妹と一緒に漫画を読む。

 

アラサーちゃん 無修正 4

アラサーちゃん 無修正 4

 

 これを読んだ。「アラフォーのするクンニは貴重」等、単にお下劣なだけのネタが目立つように思った。初巻の「皆が思っているけど言わない」程度のほどほどの良質の下ネタが失われたような気がする。劣化だと思う。

そうこうしているうちに、我が家のネコが脱走。私のドアの閉め忘れのため。まさかの怒鳴り散らす悪性の逆ギレの後、探す。かなりの広範囲を探し、一度途方にくれるぐらいの気持ちを経験した後、ひょっこりうちの隣の庭から顔を出しているのを発見。妹と確保。

母帰宅し、晩飯。再度逆ギレ。


Lucy (9/10) Movie CLIP - Crossing the Spacetime Continuum (2014) HD

基本的にSFとしてのレベルは低いし、娯楽作としても微妙。が。これはこれで価値があるように思った。なぜなら、監督の素朴な世界理解が表れているように思うから。たとえば、序盤で一瞬あらわれる謎の科学者っぽいやつがイギリス訛りだったり、モーガン・フリーマンのいかにも現代の知を代表してますって物腰穏やかな語り方だったり。すべてがステレオタイプ的。そしてそれが心地よい。半分馬鹿にして観てる所もあったけど、半分はそのお決まり感を楽しんでいた。「インターステラー」みたいに金かけて無理してダダスベリになるよりも、こちらの方がよいのかもしれない。

なぜそのステレオタイプが楽しかったんだろう。もうちょっとだけ。つまり、変にリアリティに凝ってないので、監督の素朴な世界の感触が味わえる。敵、仲間、先生、色男などなどの記号がまっすぐ登場している。上手く言えないが、その小学生の書いた物語っぽい幼稚さが、映画産業が成熟するにつれて失われていったものであるような気もする。たとえば、「マッド・マックス フューリー・ロード」でも、いちいち女性の社会参画とか障害者の活躍みたいなのを意識して、登場人物の役割分配をそうせねばならなかったわけだ。こうした気遣いが、黒人の扱いを中心にハリウッドにはあるのだろう。そしてそんな気遣いは悪くはないんだけど、外部の日本人からしたらたまに説教臭くてウザく感じることもある。その配慮が、ちょっと窮屈なんだな。

LUCYにはそれが無い。そしてそれが、映画の世界を純粋なイメージの連鎖の世界にしているのかもしれない。使い古されるけども理解しやすい物語の原型、というか。それがここちよい。

同じ内容ばかりで、あまり生産的ではなくなってきたな。30分ほどこれ書くのに時間をかけているので、この辺で。